東京モーターショーの思い出 [クルマが好き!]
間違っても”断捨離”などという、縁あって手にしたモノ達に失礼でもあり、
そんなもったいないことだけはするまいと思い続けて、
すでに半世紀以上も生きてきましたが・・・
さすがに留まることなく増え続けるカミモノは、
少しづつ何とかしないと生活のスペースも脅かされる状態です(苦笑)
’60年代,まだ晴海の国際展示場でモーターショーが行われていたころ、
展示ブースを取り巻く、とてもクルマなど買えそうもないようなヒトには、
”本カタ”はもちろん総合カタログの用意もなく、
ほとんど1枚物のフライヤー(チラシ)が配られました。
このチラシは当時の富士自動車(現・小松製作所)が発表した、
ガスデン製の360㏄エンジンを使った軽自動車ですが、
今の"カワイイ系”のデザインと通じるものがありますね。
まだ輸入車はアメ車が強い時代だったので、
クライスラーやダッジなどのきれいなイラストのフライヤーがうれしかったです。
ドイツフォードのタウナス17Mや結構高価だったと思われるバンが、
当時の日本でどれほど売れたのでしょうかねぇ(笑)
で、クルマ関係のパーツや関連商品を展示していた”部品館”はよく行きました。
いつも空いていてゆっくり見学できるのと、メーカーの説明員も暇なせいか、
子供にも優しく接してくれたのがうれしかったからです。
このターレーことターレット・トラックは今でこそほとんど電動ですが、
当時はエンジン音も高らかに市場や駅の構内を疾走していました。
60年近く経った今もデザインがほぼ同じなのに驚きます。
3点式のシートベルトは当時最新の装備でしたが、
ベルトはすべて別々という相当面倒くさいものでした(笑)
ヤンマーがロータリーエンジンの船外機を作っていたのを知ってました?
クルマをガレージに入れるなんて考えも無かった頃ですから、
大きなアメ車をカーポートに収めた男性の得意げな様子が伺えます(笑)
大事な愛車の車内を掃除する専用の掃除機もありました。
モデルの娘が”昭和感”いっぱいなのが癒されます。
この娘も昭和顔ですが、
キャンピングカーで遊びに来てギターを弾くという、
「若大将シリーズ」のようなシチュエーションなんでしょうね。
指先の使い方が弾けるヒト風な感じもします(笑)
ちなみにこんな折り畳み式のトレーラーなんですが、
茶舞台の上のジュース?はなんだったのでしょうか?
老舗のフランスベッドはもうこんな本格的なキャンピングカーを作ってました。
キャンピングファイヤーの周りは、たぶん盆踊りです(爆)
タイヤはまだ輸入品が性能的には進んでいました。
チラシも進んでいてイラストとはいえ、
タイヤに寄り添うのは金髪水着のオネエサンでした。
当時はまだ高価なパーツだったアルミホイールは、
メーカーオプションには無いデザインの豊富さが売りでしたね。
で、これも外人モデルです(笑)
オーディオやクーラー、バッテリーなどにも力を入れていた、
"ナショナル“(現パナソニック)のチラシは、
プロポーションのいい個性的なモデルでした。
アルミ以前はメッキホイールの主流だったエルスターは、
多感な少年にもこんな嬉しいチラシを配っていました。
一緒に行った友人が一言「あ、透けてる!」、宝物でした(笑)
(写真は拡大しません!為念)
いささかワタシ好みに走りすぎましたが・・・(笑)
これはバイクを運転する男性のゴム長風ブーツを除けば、
一切の安全装備を持たないタンデムツーリングの様子です。
当時は女性が横座りしているのもよく見ましたね。
のどかな時代でした。
「我が家にも1台」、スーツの男性はセールスでしょうか?
奥さんは気に入ったようですね(笑)
やっぱりタバコの火はキャンプファイヤーから・・・
ちょっと腰が引けてますが漢ですからねぇ(笑)
この連休で、やっとカタログ、フライヤーなどの整理が済みました。
等価交換したモノはボチボチと・・・
2017-07-22 15:36
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コメント(2)
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モーターショーは高校生の頃、東京駅八重洲口からバスで晴海にいきましたよ。いずれもお宝ですね。ロータリーと言えばNSUかマツダと思っていましたがヤンマーもやってたんですか、まったく知りませんでした。
by conta (2017-07-22 23:00)
contaさん
いつもコメントありがとうございます。
ワタシはメトロの築地で降りて、
勝鬨橋を歩いて渡って行っていました。
これで我が家に有るカタログやフライヤーの類は、
ほぼすべてきれいになくなりました。
雑誌はほとんどが資源ゴミにしかならないようですね(笑)
by 1275GT (2017-07-23 22:03)